自閉ちゃんの娘と私の家族日記

自閉症スペクトラム障害の娘の子育てと子育てのための在宅ワークもろもろを綴った日記です

終末の過ごし方 前編 今日のお話し

突然ですが、私は最近胃が痛い。食欲がない。食べてもすぐにお腹がいっぱいになってしまう。さらに痩せていくという症状に見舞われています。

 

個人的に母がいることによるストレス性のものかな?なんて思っていましたが、医師に相談したところ精密検査を受けた方が良いと言われました。

 

でも仕事のトラブルや母とのトラブルで病院に行く事ができずにいました。ここ数日のこと色々な問題が重なってより一層痛みがひとくなっていて、それがすごく気になっているのです。

 

別に自分が重い病気でも、私は特別焦ったりはしないのですが、実は妹も同じような感じで悩んでいると告白されました。

 

妹は元々病気があって、その病気は治療しないと必ず癌になる病気だったので、あぁ、妹もそろそろかな?とは思っていたのです。

 

だから病院に行けと言いました。もちろん妹には何年も前から行くように言っていましたが、こいつも人の言うことは聞かないし、めんどくさがりで病院に行かずにいたのです。

 

でも多分妹が悩んでいるのは腹水だと思うので、病院に行って検査したら多分末期の肝臓ガンでしょう。これは本当だと思います。

 

妹は慢性肝炎ですから、すてに肝硬変にはなっているんです。あと数年生きられれば良いところでしょう。

 

今日その妹とメールでやり取りをしていましたが、妹は残された時間を普通に過ごしたいらしいんですね、でももう二度と母には会いたくないのだとか。

 

やはりお正月の騒ぎ、あれは勘弁できなかったのでしょう。というか、それ以前から母の事が大嫌いだったので、母と二度と関わらないで静かに逝きたいのだそうです。

 

私ももう限界です。

 

実は今朝の事、朝嬉しそうに母が私に言いました。田舎に手紙を書いたから、これ出したらスッキリすると言ったのです。

 

その手紙には、弟が亡くなった時の遺産を勝手に分配した事、自分を除け者にした事、とにかく恨みつらみを書いた手紙なのだとか……。それを出せば兄貴も分かるだろうと言うのだ。

 

私なら、以前から電話でお金のことで文句言ってきた妹からの手紙なんて、宛名見たら捨てると思うけど、皆さんはどうだろうか?やっぱりそれでも見るのかなぁ?

 

ま、とにかくやめてほしいと言ったわけです。すると母は突然私に

 

お前はよっぽどおらの事が嫌いなんだな!反発ばっかりして本当に嫌なやつ!一度くらい気持ちを合わせてやれば良いのに何で反発しておらを馬鹿扱いするんだよ!

 

と怒鳴り始めたのだ。

 

いや、反発っていうかねぇ……ていうか反発って何?気持ち合わせてとかいうけど、世間ズレした考えしかできないのはどうよ?そんな非常識な考えに、心を一つにとか絶対しないでしょ……おかしいからやめてくれと言っただけなのに、なんでそこまでムキになるの?

 

そして大声で文句を言いながら部屋に戻ってぶつくさと悪態をついていた。こちらが声を張り上げると、デケェ声出すんじゃねえよ!ばあかっ!とこれを繰り返す。

 

あまりにも腹が立った私はつい、出て行け!となるのでした。

 

これが原因で仕事できませんでした。

 

頭を冷やすために外出して戻ってくると、母は部屋にいなかった。どこへ行ったのかと思って覗くと、ベランダで何やらやっています。

 

何をしているのかと思ったら、何とあいつは布団をビリビリに破いて捨てていた。もう半狂乱になって捨てているのだ。もう常軌を逸しています。

 

あまりにも酷いので、私と娘が出ていくことにして、荷物を包み車に乗せました。とにかく二度と顔を見ないで過ごそうと思ったからです。

 

するとそれを見た母は、何でそんなことするのよっ!嫌味なことしかしないったらこの子は!

 

もううんざりです。

 

私ももう残り少ない時間をのんびり過ごしたいのです。そこでどうすればいいかを考えるようになったわけです!続きはまた明日にでも。

 

 

 

 

我が家の毒親にギャフンと言わせる方法

うちの毒親はその昔、松明を焚いて生活をしていたらしい。なにそれ?と私も思うほどの原人っぷり!

 

江戸時代なんか?と思ったけれど、昭和初期にはそんな暮らしをしていた村は結構あったみたいでした。

 

戦時中なんて、田舎は本当にそんな素朴な電気のない生活が当たり前の時代だったのです。

 

だから母は

 

おら電気なんていらないよぉ〜!慣れてるもん!

 

なんて言っていた。だから私はふと考えた。電気止めたらどうなるんだろう?

 

母はブレーカーを知らない。何かあったら全て誰かに命令していたので、何かあった時には自分では何もできないのだ!

 

一昨日の事、ブレーカーを落として電気を止めてみた。もちろん母には電気代が払えないから止められたと言った。

 

たった一晩電気のない暮らしを再現したのだ!

 

外は段々暗くなる。懐中電灯を明かりにして子供と戯れていると、母が突然

 

もう嫌だよっ!キチガイになりそうだよっ!音が何もないなんてっ!泣きたくなるよ……と大騒ぎ。

 

私も娘も暗くても楽しく過ごしているのに、松明を焚いていた原始人の母が、テレビが観たいよー!暗いよー!と大騒ぎしているのだ……。

 

呆れてものが言えなかった。

 

つい、あんたさぁ、子供の頃松明で生活していたから電気なくても何も文句言わないよ!あんたらとは違うんだから!おらもう一回あんな暮らししたぁい!

 

って言ってたじゃない!と言ってしまった。すると母は、言ったけどテレビは観たいだろ!普通!とかいう。

 

私はテレビは観ない。観るとしても朝情報番組を1時間観たら消してしまう。

 

それにひきかえ母は24時間テレビをつけっぱなし!ゲームはつけっぱなし!

 

ちなみに我が家は給湯が電気なのだけれど、私と母しか使わないのに、ひと月15000円もかかっている。これは母が手を洗うにも給湯。

 

皿洗うにも給湯、フキン絞るにも給湯を使うからだ!この間は鍋を火にかけたまま外出。あわや火事になるところだった……。

 

とにかく無駄が服着て歩いている感じ。

 

で、翌日お金払ったと見せかけてブレーカーを上げた途端、テレビをつけて、やっぱりこうじゃなきゃおら嫌だ!

 

そしてその翌日、朝から晩まで洗濯。

 

今は頭にきたのでガスを止めてみた。料理は卓上コンロでやっているのだけれど、彼女は数日で買ってきたボンベを全て使ってしまった。

 

言うに事欠いて、カセットのガスはやっぱ少ししか入ってないな……。とこうである。そりゃあ卓上コンロで1時も煮たらなくなるわ……。

 

しかも1日に日何度も!その度に今度買ってくるからと言いつつ買ってこないで、ガスもう無いよ!とこうだ。

 

彼女の辞書には節約という言葉は皆無なんだな、という事だけはわかった!ガスはこのまま卓上コンロでやらせておくわ……。

 

誰か早くお迎えに来てやってくれないかしら?と、毎日考える私なのだった。

 

そうそう!この話を人に聞かせたら、普通はポジティブに考えるよね、こんな事笑っちゃうよねとか、1日くらい良いよ!とか、でもお金も出さないし責めるような事言うんだね、そんな親捨てちゃえば良いのにと言われた。

 

捨てたいのよ、そして今、みんなで施設に入れることを画策している。そうしないといつまでも食いつぶされてしまうからだ……。それにストレスで早死にしてしまう。

 

最近体調が悪くて、精密検査受けた方が良いと医者には言われている。あの人と一緒に暮らす人は精神的な疲れと支払いで疲弊してしまうのだ。体調を崩すものも続出している。

 

はっきり言って、私はあの人のために生きているわけではないし、子供の事で精一杯なのです。いい加減人に迷惑をかけるのはやめて欲しい。

 

ある日いきなり施設の人に連れて行ってもらう事も考えている。実際にそうした人の話も聞いたし、そろそろ本格的に考えないと、自分の老後が不安すぎるのです。

 

母のおかげでここ10年近く貯金ができていないし……。もういい加減にして欲しい。金払ってもいいから施設で引き取って欲しいのです。

 

もういい加減目を覚まして欲しい。子供は金づるじゃないって……。最近はこんな母を子供達に押し付けて去った父親を憎むようになってしまった……。

 

自分の女くらいちゃんとコントロールしろよ!だらしない男だなっ!と言いたいのだ!ま、もう無理だけど……。どこに行ったかわかんないしね。

 

 

花粉症で目の炎症が止まらず親子で真っ赤!

今年初は本当に花粉が大量に飛散しているのがわかる!まるで目に見えるくらいのヒドさ!

 

今年から花粉症デビューした方も、初めての経験ですごく辛い方思うのですが、子供の頃から花粉症で悩んできた私も毎年辛い時期です。

 

何を隠そう、私は超アレルギーで、特に植物のアレルギーは測定不能の状態!血液検査したところ、スギ花粉に至っては測定可能領域を超えてどこまで上がるか予測もできない状態です。

 

というわけで私は年中抗アレルギーのお薬を欠かさず飲みます。それでも今年は全く効果がありません。

 

くしゃみは全く止まりません。

 

でも今年は本当に薬が効かないと言う方多いです。特に酷いのが目のかゆみで、目の周りが炎症を起こしている始末。

 

私だけならまだ良いけど、何と娘も今年は酷いらしく、くしゃみは出るわ目がかゆいわでもう大変です。

 

娘は目薬を嫌がるので、お風呂で目の周りを優しく洗ってあげて、その後はキレイにした手で目薬を塗ってあげます。

 

すると目の充血も治るしかゆみも軽減されるみたいです。でもできれば早くこの時期が過ぎてくれると良いなぁ……。

 

ちなみに母は全く何も感じないそうで、朝から家中の窓を開け放ち、外の空気きもちいい〜!なんてやってます。

 

頑丈な人って人の事あんまり気にしないものですね……。

忘れる前に書いておきたい事

昨年、胃がん終末医療を受けていた恩人の娘さんから突然の電話が来たのはお正月明けて1週間ほどだった頃でした。

 

電話に出ると、母が亡くなったのでお知らせしようと思って、との事でした。

 

ある程度覚悟はしていたけれど、あまりにも早かった知らせに涙が溢れて止まりませんでした。

 

葬儀は数日後との事でしたが、通夜には行かず葬儀の日だけ参列することにしました。

 

頭の中は、彼女との楽しかった日々の事ばかりでした。私は病院で彼女の写真を撮影したのですが、その写真が私にとって最後の思い出になってしまい、本当に悲しくてたまりませんでした。

 

今も彼女の事を思うと涙が出ます。

 

葬儀は本当に内輪だけで行われ、友人知人は私と叔母だけでした。遺影を見ながらお疲れ様でした。ゆっくり休んでね、とただひたすら思い号泣していた私。

 

多分一生分泣いただろう。

 

彼女の1番下のお子さんはまだ25歳。どれだけ心配だっただろう……。結婚する姿を見たかっただろうし、孫をどれだけ抱きしめたかっただろう。

 

ずっと私に言っていた。孫の顔を見たい。でも誰も結婚しないから私の娘の顔を時々見せて欲しい。だから私は娘をちょいちょい連れて行き見せた。

 

嬉しそうにする彼女を見て、お母さんってこんな感じなんだなぁと思ったものだった。

 

実際、こちらに来てからずっと親のように世話をしてくれていたので、本当のところ実の親よりも頼りになった。

 

私の事を心配してくれていて、励ましてくれたしとても温かい人だった。

 

とにかく泣けた。

 

大好きな人を失うのって本当に辛いですね。私もあまり体調が良くないので、病院に行かないとならないなと改めて思いました。

 

早くに親を失くすのって子供がかわいそうだし、私の娘は障害を持っているので余計に不安になってしまう。

 

他の病気はわからないけれど、がん細胞って高温に弱いらしいですね。だから湯たんぽなどを当てておくとがん細胞を弱らせる可能性があるって聞きました。

 

今思えば彼女にダメ元で教えてあげるべきだったのかも……と悔やまれてならないです。

 

何もかも今更だけど、胃がんの手術をした直後の元気な彼女の姿を私は忘れない。いつものように明るい笑顔、私が死んだ時はまた楽しくお話ししたいなと思います。

 

それまであっちの世界で楽しく修行していてね!そして今まで本当にありがとうございました。

 

寂しいよ、でもあなたに恥じないよう頑張るね!お疲れ様でした!安らかにお休みください。

 

 

お正月の騒動の2日後に起きた我が家の大惨事

昨日の日記、正月明けに書いてましたね……書いたことも忘れてふたたび書くなんて、本当に何も考えてない私。

 

反省!

 

さて、今日はその2日後に起きた大惨事の話です。

 

何からそうなったのか、腹が立ちすぎて覚えていないけれど、母は再び私にイライラをぶつけてきました。

 

大声で怒鳴るわ叫ぶわもう手がつけられません。

 

母に言わせると、自分は世間から隔絶されて生活していて辛いというのです。

 

呆れてものも言えません。

 

だって母は友達が1人もいません。これまでもいた試しがありません。相手がへつらわないと気に入らないのと、自分は好みがうるさいのだという理由からだそうで、ブスくさいやつは見たくもないのだそうだ。

 

母はどちらかというど美人のタイプで、若い頃は相当モテたらしい。確かに昔の人にしては顔立ちが派手で、私が子供の頃には水商売の人なの?なんて言われたくらいでした。

 

だからなのか、男はハンサムじゃないとダメで、しかも若ければ若いほど良いらしい。嵐の大野くんみたいな人が好きなんだそうだ……。

 

へええ……。まぁ、好みは人それぞれだから良いんじゃない?と思うけど、若くて美しい殿方はあんたみたいなババア相手にしないでしょ……と思う。

 

で、年寄りは大嫌いだとのたまい、当然同年代の知り合いは作らない。というか、相手も何となくわかるのか、母に話しかける人は全くいないのだ。

 

それなのに人と関わらないのが辛いと言うのだ!

 

で、電話もない!あんたは電話待ってるからみんなと話が出来て気晴らしができるけど、おらは何もないから死にそうだというのだ。

 

死ねば良いのに……なぜ生きてるのだ?

 

多分そんなくだらないことから喧嘩が始まったと思う。でも私が電話を付けないのには訳がある。

 

それは引っ越す前のマンションでのこと。母は自分の弟が亡くなった時のことを未だに根に持っていて、ある日弟の家に突然電話をかけて、弟の金をもらって好きに使った事を弟の奥さんに食ってかかった事があったのだ。

 

多分25年ぶりくらいに来た義理の姉が、お金の事でギャーギャーいうとは思わなかっただろう。電話の後で、何で今頃そんな事で電話した?と聞いたらこう言ったのだ。

 

言わないと気が済まない!弟の金3000万もあったのに自分たちだけで好きに分けて使いやがって!

 

は?あんただってもらわなかったっけ?

 

でも彼女は受け取った100万のお金をあっという間にパチンコに使ってしまったのだ。

 

あの人に言わせれば平等に分けたら1000万近くになったはずだというのだ。呆れてしまう。

 

そんな電話をする人のために電話機なんて絶対に起きたくない!母が死んだらつけるつもりだ。これ以上他の人に危害を加えて欲しくないし、電話かけられた人に迷惑です。

 

そんなくだらない事で未だに騒ぐ母に腹が立ちましたし、仕事が全くできないことにも絶望した私は情けなくて、出て行ってくれと叫んでしまったのだった。

 

それでも部屋の中でバタンバタンと大きな物音を立てる母に疲れて、謝るから静かにしてくれと懇願したけどうるさいっ!あっち行ってよ!気が狂いそうだよっ!死んでやるから良いよ!と、こんな感じ。

 

私は重度のうつ病を発症した過去があり、再び発症したら後がないとも言われました。だから家族とも離れて暮らすようにと言われて四国に来ました。

 

それなのに一族で最も最悪の人間と暮らさなくてはならず、どんなにストレスがダメなんだと言っても理解ができず、自分の思い通りにならないと暴挙に出る母。

 

私が怖いのはうつだけではなく、後期高血圧症なので、脳の血管が切れたらそこで人生は終わりなのだ。これも散々説明したけどすぐ忘れる。

 

娘をできるだけみてやりたい、一緒に暮らしてやりたいと思うのに、自分の母は娘なんてどうだっていい!というのだ。本当に悲しくなってしまう。

 

結局母は1週間したら出て行くからそれまで置いてよ、といい現在に至っているのだ。でもそれ以来大声で怒鳴ることもなくなり、今は一時大人しくなってくれているのでホッとしています。

 

それもこれも自分のためだと我慢しているのだろうけど、私としてはいつでも出て行って欲しいし、できれば2度と関わりたくない。死んで生まれ変わってもだ!

 

あんな人格異常者を私は見たことがないし、他人の方が親切だし、まともだと思う。でもあの人も役には立っていると思うことがある。

 

それはこんな人間になったら人は終わりだと思う事だ。歳を取っても友達もできず、子供たちからは嫌われ、近所の人からはキチガイ扱いされて避けられる。

 

努力はしない、学ばない、自分に甘い、人を人とも思わない、彼女には分相応という言葉を是非辞書で引いて欲しい。

 

いっその事出家でもすれば自分がいかに恵まれていたか、自分がどれだけ恥ずかしい人間かを理解できるのではなかろうか……。

 

でもそんな苦痛な事を選ぶわけもなく、このまま人生を閉じるのだろう。

 

 

今更だけど正月の我が家は母のせいで大騒動

数年ぶりに妹たちが我が家にやってきた。妹は高知が大好きで、毎年来ていたけど来るたび母がやさぐれるのでしばらく来なかったのでした。

 

なんなら死んでから来るくらいの気持ちだったかもしれない。でも我慢ができずに来てくれる事に。

 

ところが、妹が姉に高知に行かないか?と連絡をしたことからこの騒動は始まった。

 

妹が姉に電話すると、姉は行きたいけれど母がいるから行きたくないようで、高知に行ったら私が母を押し付けるのではないかと不安になっていたようだった。

 

それを聞いた妹が憤慨して私に電話してきたのだった。私もそれを聞いて良い気持ちにはなれない。

 

だいたい私に言わせて貰えば、元はと言えばあんた達が散々母のお金を使ってきてのに、結婚した途端に親が邪魔になって私のところに押し付けたくせに、その言い草はなんなの?である。

 

そんな事を聞いた私はつい怒りのあまり母に聞こえるように口に出してしまったのでした。それを聞いた母はお得意の自分勝手な話にすり替えてインプット。

 

妹が来た日もツンケンしていました。一緒にご飯を食べようとしても、1人で食べたい!どこかに行こうと言っても行かない!

 

部屋に閉じこもってこっちが笑っていると、何がそんなにおかしいんだっ!馬鹿にしやがって!とどなる。

 

結局最後の日には大ゲンカになり、あろう事か妹に姉に頼まれたって行かないって言っておいてよ!死んだって来なくたっていいから!なんて言うのだ。

 

そして勝ち誇ったような目つきでこちらを見て、バラしてやったぜ!ザマアミロ!的な顔をしていた。

 

それを見た私は、お前だけは死んだって許さない!と言って睨み返してしまいました。実の親が姉妹の仲をぶち壊して楽しむなんて!

 

しかも83にもなってそれが自分にどんな影響が返ってくるかも考えられないなんて、本当に情けない人だなと思ってしまった。

 

当然妹も母を睨みつけ、もう来ないからいいよと捨て台詞。その態度にようやく自分がやった事の重大さに気づき、そそくさと部屋に逃げ帰った母。

 

でもヤバイと思ったのか、猫なで声を出して戻ってきてさっきはごめんね、なんて言ってきたけれどその時はすでに手遅れでした。

 

次の日は帰る日です。散々気分を悪くしておいて、手のひらを返したようにする母に、みんなは辟易していました。そしてさっさと支度をしてよそよそしい態度で空港へ……。

 

妹達はこちらを見る事なく飛行機に乗って行きました。飛行機が飛び去るのを確認して振り返ると、ババアは泣いていました。

 

もう、はあ?今更何やってんだおまえ……馬鹿なの?です。

 

私は83のババアに、わかりやすく丁寧に言いました。

 

あなたさ、後何年生きるつもりかわからないけど、うちらも歳だし明日死ぬかもしれないでしょ?だから人が来てくれたらもう2度と会えない気持ちで接しなくちゃダメなんだよ?

 

もしもこんな別れかたして明日相手が死んだり自分が死んだら嫌な気分にならないかい?大体あんたそうやって自分の兄弟からも縁切られてるでしょ?どうしていつまでも同じ事繰り返すの?

 

自分が気に入らないからって言っても、他人なんだからあんたの思う通りにはならないよ?少しは勉強したら?と言ってしまいました。

 

母は相手が自分の思い通りに動かないと気が済まないので、めっちゃくちゃに文句言ってスッキリしないと気が晴れないのだそうだ。

 

その後で誰からも相手にされなくなると、また相手を恨んだり馬鹿にしないと気が済まない。でも相手は2度と母を相手にしないので、いつまでたっても気分が晴れないのだ。

 

一体どうやったらこんな人間になるんだろう?本当に不思議。

 

その騒動の後で、2日と経たない内にまた大ゲンカになり出て行け!と言われるんだから本当に馬鹿な奴だなと思います。

 

その喧嘩はこれまでになく激しく、殺してやろうかと思うくらいの大騒動でした。結局私との間もぶち壊した母は行くあてもなく未だに同居しているのだ。

 

その話はまた今度にしよう……思い出すだけで疲れてしまうのです。

 

それにしてもどうして感情をコントロールできないのだろう?動物だって必要以上にいきり立ったりしないものなのに、あいつは動物以下の生き物だと言う事なのだろうか?我が親ながら情けない話だ……。

 

気持ちが焦る2019年の幕開け

昨年は元旦那の叔母のお世話に振り回されて体調は崩すわ、実母との同居で散々な目に合うわで本当に疲れた一年だった。

 

今年こそは何とか立て直したいと思っているのだけれど、お正月早々馬鹿な親と生きたい叔母の洗礼を受けて、またしても仕事にならない日々が続いています。

 

 

今日も叔母の病院に行ってきた。明後日は明け方からの活動になるので、本当に疲れてしまう……。

 

私の周りだけかもしれないけれど、お年寄りは自分のことしか考えないのかな?と思ってしまう。

 

私は若いし車の運転ができるから、何でも頼んで良いんだと思っているのかもしれない。そっちがそう言うなら私はもっとやってもらおうなんて思うのかもしれないけれど、私は娘の事が心配なのだ。

 

それを言っても、わかるけど頼むしかないと用事は減らない。お互いにそっちを削れと言うので困る。

 

今は良いけど私にもしものことがあったらどうするのだろう?私もそんなに丈夫じゃないし、言うほど若くないし。

 

こんな事思ったら罰当たりかもしれないけど、早めにお迎えに来てもらえないのかな?なんて思う自分に腹が立つ時もあるのです。

 

私がいくらお世話をしても、私の老後は誰もお世話してくれない。それでもやらなくちゃならないなんて、本当に悲しくなってしまう。

 

娘は一生施設で暮らすことになるので、辛いけど仕方がないとは思う。私も老後は施設で暮らすしかないのだけれど、今はお金貯めないとそれもできない。

 

それでも自分たちの世話をさせるってどうなのだろう?少しずつお世話から身を引く時が近づいてきたのかな?と思う今日この頃なのです。

 

特に母はもうお迎えが来ても不思議ではない年齢。でも多分まだまだ生きるだろうなぁ……。こんなこと言うと怒られそうだけど、彼女が死んでも全く悲しくないだろうなぁ。

 

むしろこれでやっと自分らしく生きられると思うかもしれない。その時が一刻も早く訪れてくれることを祈りつつおやすみなさい。