自閉ちゃんの娘と私の家族日記

自閉症スペクトラム障害の娘の子育てと子育てのための在宅ワークもろもろを綴った日記です

お前が悪い!睨んだ父親にそっくりお返しします!

今日近くにある大型スーパーに買い物にお出かけしました。

 

そこは高知の物産も扱う超?大型のスーパーです。そこで買い物をして、気分良く家路につこうと駐車場から道路へ出て、左折しようと止まったところ、右側から一台の車が通り過ぎました。

 

その運転手の女性はぼーっとして運転していて、周囲の事なんてまるで目に入っていないかのようでした。

 

ちょっと危ないなぁと思いつつ左折、すると右側に大きな駐車場があって、その車はそこに入ろうとしたわけです。

 

すると、駐車場から小さな子供が二人、周囲を見もせずに飛び出してきました。もうビックリして大きな声が出ました!

 

すんでのところで不注意カーがブレーキ!それでも完全に止まらず動いていたので、止まりなさいっ!と聞こえないのに叫んでしまいました。

 

驚く事に、駐車場の入り口に父親がいて、子供達を口で呼んでいました。私なら絶対に手を離しません!だってその子達は2歳くらいと4歳くらいだったからです!

 

父親は安全な位置にいながら飛び出した子供を追いかけようともしませんでした。母親はどこにいたのかわからなかったけど、車を駐車していたのかもしれません……。

 

だったら尚更父親は二人の子供の手を取って歩くべきです。

 

当然近くにいたたくさんの人も、あーーっ!と叫んでいました。子供達は幸いにも車にぶつかる事はありませんでしたが、道路を再び渡って父親を見るとまた道路に飛び出して走り回っていました……。

 

車は完全に止まらず少しずつ進んでいます。これもアホか?と思ったけど、父親の次の行動にその場は騒然としました。

 

なんと父親は二人の子供を追いかけるでもなく、車の女性を睨みつけて、てめぇ!って感じ……。

 

それでも子供を追おうとしません。子供達は相変わらず走り回っていたので、周囲の人たちも父親と子供を交互に見て、何やってんの?この人たち?

 

その場が騒然としました。父親の年齢は30代後半から40代前半くらいでした。私がもしも妻なら、大声で叫びますね……。

 

そして、あんた何してんの?子供の手を離さないで!ってね……。ていうか、そんな男に子供を頼まないし……。

 

それにしてもゆとり世代なのか?自分の子供を叱るどころか他人を睨みつけるなんて、そんな暇があったら子供捕まえに行かんか!あほっ!と思ってしまいました。

 

子供のしつけが必要な家族っているけど、まず親の躾が必要だなと思った日でした。

 

交通量が少ない田舎だからまだ良かったけど、都会なら事故になってもおかしくはありません。子供は叱るときは叱らないとダメな子になると思う。

 

躾って難しいけど、命に関わる事はしっかりと伝えるべきじゃないの?って本気で思います。そんな親ばかりじゃないと思うけど交通ルールは守れる子供にしてあげないとね……。

 

ていうか飛び出されてぶつかりでもしたら車が悪くなりますからね……まぁ、その車の運転手もちょっとおかしいけど、とてもハラハラしてしまった……。

 

一体どうした?母の異常行動と昨日の出来事

春が来ました。娘も進級して少しずつ新しい教室にも慣れてきた今日この頃、我が家ではものすごいトラブルが起こりました。

 

私は昨日の夕方、娘の新しい寝具を買おうと外出しました。娘は自宅で遊んでいたので母も家で留守番をしていました。

 

さっさと行ってこようと運転をしていると、突然電話がかかってきたので止まってディスプレイを見ると、岩手と出ていました。

 

岩手は母の実家です。皆さんも歳が歳なので誰が具合でも悪くなったのかな?と思って出てみました。

 

すると、田舎の叔母からの電話で、なにやら雰囲気がおかしいのです。急いでいると言うわけではなく、なんとも言えない雰囲気に、あれ?っと思ったけれど、今出先なので戻ったら折り返ししますと伝えて電話を切ったのです。

 

ふと思ったのが母が出そうと思っていたあの手紙でした。まさかあの人あの手紙を出したの⁈ 絶対にやめた方がいいとあれほど言って大げんかになったのに!

 

自宅に戻って電話をかけると相手が出る前に、この電話は迷惑防止のために録音されていますという説明の後で、叔母が出たので母に変わりますと伝え、電話を母に渡して様子を見ました。

 

電話を代わるとすぐに叔母の大きな声がきこえてきます。ハッキリとは聞こえなかったけれど、かなりの剣幕でまくしたててた感じ。

 

すると母の顔はみるみる内に真っ赤になり、キツい口調で「いやね、○○の貯めてた金と、もらった金が合わないからどうしたのかと思ったから聞いただけよ!あんなにたくさん貯めてたのに、どこに使ったのかと思ったから聞いたの!」

 

それはおかしい!オラが聞いたのは3000万貯まったって話で、あれから何年も生きたのにもっと貯まってるはず!5000万くらいあったかも、保険だって入ってたし、その金全部誰が使ったのか知りたいの!

 

いやいや、オラは金が欲しいとかじゃなくて本当のところが知りたいだけ!あの時もらったのだってもらわなきゃ良かったって今でも思ってるよ!だから金が欲しいからだなんて思われたくない!

 

なんて大声でまくし立てています。叔母も黙ってはいませんでした。そんな金は知らないしそんなにたくさん無かった!だから入院費を払って葬式代を払って残りを平等に分けたでしょ?と言ったらしい。

 

ちなみに母の実の姉がいたのですが、この叔母には息子と娘がいまして、その子たちにはそれぞれ100万ずつ渡したらしく、私たち姉妹にはびた一文きませんでした。

 

従姉妹に聞いたので本当の事だと思うけど、私も姉も妹も意外と高給取りだったので、人のお金は欲しくないし働けばいくらでも手に入るし、別にもらわなくてもなんともないよ!と笑って話したくらいでしたから、そんな事ずっと忘れていたりしてました。

 

もちろん田舎の子供達にもそれぞれ100万ずつ渡したみたいでしたが……。それと直接世話をしたもう一人の弟とその子供達にも渡したでしょう、つまり母のところだけ除け者にしたというわけです。これも母の普段からの行いが災いしてるのですが……。

 

ところが母はそうはいかなかった!姉の子にはやって自分の子には渡さなかった事も腹が立ったのかもしれないけれど、どうせもらったとしても全部自分のものにしたに違いないし……手に取るようにわかるので笑ってしまう笑

 

その事も相手に伝えて大ゲンカでした。相手にしてみれば、何十年も前の話をなんで今蒸し返すのかも分からなかったろうし、弟のお金の事をそんなに気にする気持ちも分からなかったに違いない!

 

だって娘の私達もいつの話⁈ という感じだったし、まさか手紙を出すなんて思わなかったし……。

 

で、結局本当に知らないという事がわかったのだけど、ならあの金はどこに行ったんだろう?もしかしたら姉のところにあって、息子が好きにしたんだろうか?と思ったらしい。

 

私も正直言ってそうだろうとは思ったけど、それは口には出さなかった。その従兄弟というのは借金まみれで、ヤバくなったら親に無心して払っていたという感じで、しかも何度もそれをやっていて、自分の親にも出してもらっていたけれど、嫁の親にも出させていたらしい。

 

そんな人が死んだ人のお金を見つけたらすぐ着服するに決まっています。でもそれでもいいと思う。そういうお金で難を逃れても、また同じ事をくり返すから。

 

で、最後には誰にも助けてもらえず、結局自分の尻拭いは自分でしなくちゃならないから。その時に助けを求めようとしても、もう誰からも助けてもらえなくて大変な思いをする事になりますしね。

 

それを裏付けるかのように、叔母の葬儀がおわってしばらくすると、誰とも連絡がつかなくなりました。お金を使っていた事が母にバレたらとんでもない事になりますからねぇ……。

 

母以外の人は別に良いと思うけど、人のお金だし……。でも母は金の亡者なので奪わないと気が済まないから大変なことになると思ったでしょう。

 

人のお金なんだから良いと思うけどね……。それに相続したら税金払わないとダメでしょ……。だったら寄付すれば良いと思うけど、喉から手が出るほどお金が欲しい人ってもらう事ばかり考えているだろうから無理よね……。

 

それに従兄弟は結婚して家を買うのに亡くなった叔父から400万借りて踏み倒してるし、得したと思ってるんだろうなぁ……。

 

それにしても、母は叔父が入院しても何もお世話もしなかったし、どういうつもりなのだろうか?

 

そして恥をさらしたのに、あれから5日も経った今もまだ納得がいかないようで、甥の家に電話して問いただしてやりたいとか言ってます。

 

もう使っちゃっただろうし、奪い取る事もできないのにアホくさいです、本当。

 

こうなるから電話を付けてなかったのに、私の携帯で電話しようとしてるから恐ろしい。

 

私の個人情報を簡単に晒せというのだからアホ丸出しで呆れてしまいます。本当に嫌な性格してるなぁあと思う。

 

陰険で傍若無人で世間知らずで心が貧しくて、本当に情けない親だなぁと思う。

 

私にもしもの事があった時の話をしても、また別の娘の世話になるから良いみたいに考えているけれど、妹は私にこう言っていた。

 

あなたは本当に我慢強いよね、自分だったらとっくに殺してる!

 

・・・・・確かにそうかも……。

 

だって一昨日かな、たまには好きなパチンコにでもと思って連れて行くと、持って行った金を全部使って私に3万も出させ、ご飯もおごらせて平気な顔してるんだから……。

 

言うに事欠いて、あんたが連れて行くから損したんだよ!とこうだ。

 

ちなみに私は負けてないので私が勝った分キッチリマイナスにしてくれました。本当に最低な親ですねぇ……。

 

多分私の方がストレスで先に死んでしまいそうです!笑笑 でもそうなったら草葉の陰からほくそ笑んであげたい!

 

 

私なりの毒親の退治の仕方

前回の続きになります。

 

あまりにも酷い母の性格に私は常に疲弊している状態で、気づいたら頭が真っ白になっていました。

 

よくショックな事が起こって一晩で頭が真っ白になったなんて話を聞くと、んな馬鹿な事あるわけないなんて思っていたけれど、実際に自分がなって初めてそんな事あるんだなと実感しました。

 

近藤サトさんなんて目じゃないくらいに真っ白です。私は20代から飲んでいる薬の影響で若白髪の傾向にありましたが、真っ白は想定外です。

 

今朝も、そして昼も、夕方もまた揉めたのでつい、ストレスで頭が真っ白になってると呟くと、おらも真っ白だよ?なんて言う。

 

お前は真っ白になる歳だろうが!!と思ってしまった。なんでも自分も自分もと言いたがる嫌な性格に辟易してしまう。

 

とにかくこんなにストレスが溜まるのは娘のためにも避けるべきだと思うので、母を強制的に施設に入れる事にしました。

 

まず私は医師に相談し、自分の体調不良の原因が母との同居にある事を証明します。診断書も書いていただくつもりです。

 

それを市役所などの相談窓口に提出し、施設を探して申し込みをします。妹のところにも病院で診断書を書いてもらいます。

 

妹は慢性肝炎でもう治りませんので、それを診断書に書いていただき、母を引き取れない事を証明して逃げ道を塞ぎます。

 

ある日突然施設の方に母を強制的に引き取ってもらうつもりです。残念ながら姉のところには絶対に行きたがりませんので、母は施設暮らしを余儀なくされるのです。

 

その方が幸せだと思う。

 

特に娘たちはもう邪魔されずに暮らせるので、平凡で静かな日常が送れるのです。

 

実際に同じことをした人は、いなくなった事で静かな暮らしを手に入れたそうです。

 

こんな事を書くと母を可哀想だなんて思う方もいるかもしれないけれど、母は50代の頃から娘に寄生して生きてきたので、もう産んで育てた以上の年数娘に迷惑をかけている事になります。

 

その間自分勝手な事をして、子供達を奴隷のように扱ってきたのだから当然の報いです。なるべくその日が早くやってくるように祈っている状態です。

 

とまぁこんな感じで今頑張っています!もちろん二度と会いに行くつもりもありません。かつて自分の実の姉に母がやったように、死んでも会いにはいかないつもりです。

 

亡くなったらそのまま火葬していただいて、無縁仏に入れてもらうつもりです。触りたくないんです。祟られそうで……そのくらい実の母が許せないんですよね。

 

人にやってきた事は全て自分に返ってくる、という事を身を以て体験できて良かったんじゃない?と思ってしまいます。

 

 

終末の過ごし方 前編 今日のお話し

突然ですが、私は最近胃が痛い。食欲がない。食べてもすぐにお腹がいっぱいになってしまう。さらに痩せていくという症状に見舞われています。

 

個人的に母がいることによるストレス性のものかな?なんて思っていましたが、医師に相談したところ精密検査を受けた方が良いと言われました。

 

でも仕事のトラブルや母とのトラブルで病院に行く事ができずにいました。ここ数日のこと色々な問題が重なってより一層痛みがひとくなっていて、それがすごく気になっているのです。

 

別に自分が重い病気でも、私は特別焦ったりはしないのですが、実は妹も同じような感じで悩んでいると告白されました。

 

妹は元々病気があって、その病気は治療しないと必ず癌になる病気だったので、あぁ、妹もそろそろかな?とは思っていたのです。

 

だから病院に行けと言いました。もちろん妹には何年も前から行くように言っていましたが、こいつも人の言うことは聞かないし、めんどくさがりで病院に行かずにいたのです。

 

でも多分妹が悩んでいるのは腹水だと思うので、病院に行って検査したら多分末期の肝臓ガンでしょう。これは本当だと思います。

 

妹は慢性肝炎ですから、すてに肝硬変にはなっているんです。あと数年生きられれば良いところでしょう。

 

今日その妹とメールでやり取りをしていましたが、妹は残された時間を普通に過ごしたいらしいんですね、でももう二度と母には会いたくないのだとか。

 

やはりお正月の騒ぎ、あれは勘弁できなかったのでしょう。というか、それ以前から母の事が大嫌いだったので、母と二度と関わらないで静かに逝きたいのだそうです。

 

私ももう限界です。

 

実は今朝の事、朝嬉しそうに母が私に言いました。田舎に手紙を書いたから、これ出したらスッキリすると言ったのです。

 

その手紙には、弟が亡くなった時の遺産を勝手に分配した事、自分を除け者にした事、とにかく恨みつらみを書いた手紙なのだとか……。それを出せば兄貴も分かるだろうと言うのだ。

 

私なら、以前から電話でお金のことで文句言ってきた妹からの手紙なんて、宛名見たら捨てると思うけど、皆さんはどうだろうか?やっぱりそれでも見るのかなぁ?

 

ま、とにかくやめてほしいと言ったわけです。すると母は突然私に

 

お前はよっぽどおらの事が嫌いなんだな!反発ばっかりして本当に嫌なやつ!一度くらい気持ちを合わせてやれば良いのに何で反発しておらを馬鹿扱いするんだよ!

 

と怒鳴り始めたのだ。

 

いや、反発っていうかねぇ……ていうか反発って何?気持ち合わせてとかいうけど、世間ズレした考えしかできないのはどうよ?そんな非常識な考えに、心を一つにとか絶対しないでしょ……おかしいからやめてくれと言っただけなのに、なんでそこまでムキになるの?

 

そして大声で文句を言いながら部屋に戻ってぶつくさと悪態をついていた。こちらが声を張り上げると、デケェ声出すんじゃねえよ!ばあかっ!とこれを繰り返す。

 

あまりにも腹が立った私はつい、出て行け!となるのでした。

 

これが原因で仕事できませんでした。

 

頭を冷やすために外出して戻ってくると、母は部屋にいなかった。どこへ行ったのかと思って覗くと、ベランダで何やらやっています。

 

何をしているのかと思ったら、何とあいつは布団をビリビリに破いて捨てていた。もう半狂乱になって捨てているのだ。もう常軌を逸しています。

 

あまりにも酷いので、私と娘が出ていくことにして、荷物を包み車に乗せました。とにかく二度と顔を見ないで過ごそうと思ったからです。

 

するとそれを見た母は、何でそんなことするのよっ!嫌味なことしかしないったらこの子は!

 

もううんざりです。

 

私ももう残り少ない時間をのんびり過ごしたいのです。そこでどうすればいいかを考えるようになったわけです!続きはまた明日にでも。

 

 

 

 

我が家の毒親にギャフンと言わせる方法

うちの毒親はその昔、松明を焚いて生活をしていたらしい。なにそれ?と私も思うほどの原人っぷり!

 

江戸時代なんか?と思ったけれど、昭和初期にはそんな暮らしをしていた村は結構あったみたいでした。

 

戦時中なんて、田舎は本当にそんな素朴な電気のない生活が当たり前の時代だったのです。

 

だから母は

 

おら電気なんていらないよぉ〜!慣れてるもん!

 

なんて言っていた。だから私はふと考えた。電気止めたらどうなるんだろう?

 

母はブレーカーを知らない。何かあったら全て誰かに命令していたので、何かあった時には自分では何もできないのだ!

 

一昨日の事、ブレーカーを落として電気を止めてみた。もちろん母には電気代が払えないから止められたと言った。

 

たった一晩電気のない暮らしを再現したのだ!

 

外は段々暗くなる。懐中電灯を明かりにして子供と戯れていると、母が突然

 

もう嫌だよっ!キチガイになりそうだよっ!音が何もないなんてっ!泣きたくなるよ……と大騒ぎ。

 

私も娘も暗くても楽しく過ごしているのに、松明を焚いていた原始人の母が、テレビが観たいよー!暗いよー!と大騒ぎしているのだ……。

 

呆れてものが言えなかった。

 

つい、あんたさぁ、子供の頃松明で生活していたから電気なくても何も文句言わないよ!あんたらとは違うんだから!おらもう一回あんな暮らししたぁい!

 

って言ってたじゃない!と言ってしまった。すると母は、言ったけどテレビは観たいだろ!普通!とかいう。

 

私はテレビは観ない。観るとしても朝情報番組を1時間観たら消してしまう。

 

それにひきかえ母は24時間テレビをつけっぱなし!ゲームはつけっぱなし!

 

ちなみに我が家は給湯が電気なのだけれど、私と母しか使わないのに、ひと月15000円もかかっている。これは母が手を洗うにも給湯。

 

皿洗うにも給湯、フキン絞るにも給湯を使うからだ!この間は鍋を火にかけたまま外出。あわや火事になるところだった……。

 

とにかく無駄が服着て歩いている感じ。

 

で、翌日お金払ったと見せかけてブレーカーを上げた途端、テレビをつけて、やっぱりこうじゃなきゃおら嫌だ!

 

そしてその翌日、朝から晩まで洗濯。

 

今は頭にきたのでガスを止めてみた。料理は卓上コンロでやっているのだけれど、彼女は数日で買ってきたボンベを全て使ってしまった。

 

言うに事欠いて、カセットのガスはやっぱ少ししか入ってないな……。とこうである。そりゃあ卓上コンロで1時も煮たらなくなるわ……。

 

しかも1日に日何度も!その度に今度買ってくるからと言いつつ買ってこないで、ガスもう無いよ!とこうだ。

 

彼女の辞書には節約という言葉は皆無なんだな、という事だけはわかった!ガスはこのまま卓上コンロでやらせておくわ……。

 

誰か早くお迎えに来てやってくれないかしら?と、毎日考える私なのだった。

 

そうそう!この話を人に聞かせたら、普通はポジティブに考えるよね、こんな事笑っちゃうよねとか、1日くらい良いよ!とか、でもお金も出さないし責めるような事言うんだね、そんな親捨てちゃえば良いのにと言われた。

 

捨てたいのよ、そして今、みんなで施設に入れることを画策している。そうしないといつまでも食いつぶされてしまうからだ……。それにストレスで早死にしてしまう。

 

最近体調が悪くて、精密検査受けた方が良いと医者には言われている。あの人と一緒に暮らす人は精神的な疲れと支払いで疲弊してしまうのだ。体調を崩すものも続出している。

 

はっきり言って、私はあの人のために生きているわけではないし、子供の事で精一杯なのです。いい加減人に迷惑をかけるのはやめて欲しい。

 

ある日いきなり施設の人に連れて行ってもらう事も考えている。実際にそうした人の話も聞いたし、そろそろ本格的に考えないと、自分の老後が不安すぎるのです。

 

母のおかげでここ10年近く貯金ができていないし……。もういい加減にして欲しい。金払ってもいいから施設で引き取って欲しいのです。

 

もういい加減目を覚まして欲しい。子供は金づるじゃないって……。最近はこんな母を子供達に押し付けて去った父親を憎むようになってしまった……。

 

自分の女くらいちゃんとコントロールしろよ!だらしない男だなっ!と言いたいのだ!ま、もう無理だけど……。どこに行ったかわかんないしね。

 

 

花粉症で目の炎症が止まらず親子で真っ赤!

今年初は本当に花粉が大量に飛散しているのがわかる!まるで目に見えるくらいのヒドさ!

 

今年から花粉症デビューした方も、初めての経験ですごく辛い方思うのですが、子供の頃から花粉症で悩んできた私も毎年辛い時期です。

 

何を隠そう、私は超アレルギーで、特に植物のアレルギーは測定不能の状態!血液検査したところ、スギ花粉に至っては測定可能領域を超えてどこまで上がるか予測もできない状態です。

 

というわけで私は年中抗アレルギーのお薬を欠かさず飲みます。それでも今年は全く効果がありません。

 

くしゃみは全く止まりません。

 

でも今年は本当に薬が効かないと言う方多いです。特に酷いのが目のかゆみで、目の周りが炎症を起こしている始末。

 

私だけならまだ良いけど、何と娘も今年は酷いらしく、くしゃみは出るわ目がかゆいわでもう大変です。

 

娘は目薬を嫌がるので、お風呂で目の周りを優しく洗ってあげて、その後はキレイにした手で目薬を塗ってあげます。

 

すると目の充血も治るしかゆみも軽減されるみたいです。でもできれば早くこの時期が過ぎてくれると良いなぁ……。

 

ちなみに母は全く何も感じないそうで、朝から家中の窓を開け放ち、外の空気きもちいい〜!なんてやってます。

 

頑丈な人って人の事あんまり気にしないものですね……。

忘れる前に書いておきたい事

昨年、胃がん終末医療を受けていた恩人の娘さんから突然の電話が来たのはお正月明けて1週間ほどだった頃でした。

 

電話に出ると、母が亡くなったのでお知らせしようと思って、との事でした。

 

ある程度覚悟はしていたけれど、あまりにも早かった知らせに涙が溢れて止まりませんでした。

 

葬儀は数日後との事でしたが、通夜には行かず葬儀の日だけ参列することにしました。

 

頭の中は、彼女との楽しかった日々の事ばかりでした。私は病院で彼女の写真を撮影したのですが、その写真が私にとって最後の思い出になってしまい、本当に悲しくてたまりませんでした。

 

今も彼女の事を思うと涙が出ます。

 

葬儀は本当に内輪だけで行われ、友人知人は私と叔母だけでした。遺影を見ながらお疲れ様でした。ゆっくり休んでね、とただひたすら思い号泣していた私。

 

多分一生分泣いただろう。

 

彼女の1番下のお子さんはまだ25歳。どれだけ心配だっただろう……。結婚する姿を見たかっただろうし、孫をどれだけ抱きしめたかっただろう。

 

ずっと私に言っていた。孫の顔を見たい。でも誰も結婚しないから私の娘の顔を時々見せて欲しい。だから私は娘をちょいちょい連れて行き見せた。

 

嬉しそうにする彼女を見て、お母さんってこんな感じなんだなぁと思ったものだった。

 

実際、こちらに来てからずっと親のように世話をしてくれていたので、本当のところ実の親よりも頼りになった。

 

私の事を心配してくれていて、励ましてくれたしとても温かい人だった。

 

とにかく泣けた。

 

大好きな人を失うのって本当に辛いですね。私もあまり体調が良くないので、病院に行かないとならないなと改めて思いました。

 

早くに親を失くすのって子供がかわいそうだし、私の娘は障害を持っているので余計に不安になってしまう。

 

他の病気はわからないけれど、がん細胞って高温に弱いらしいですね。だから湯たんぽなどを当てておくとがん細胞を弱らせる可能性があるって聞きました。

 

今思えば彼女にダメ元で教えてあげるべきだったのかも……と悔やまれてならないです。

 

何もかも今更だけど、胃がんの手術をした直後の元気な彼女の姿を私は忘れない。いつものように明るい笑顔、私が死んだ時はまた楽しくお話ししたいなと思います。

 

それまであっちの世界で楽しく修行していてね!そして今まで本当にありがとうございました。

 

寂しいよ、でもあなたに恥じないよう頑張るね!お疲れ様でした!安らかにお休みください。